福岡地方裁判所 昭和35年(わ)588号 判決 1963年7月23日
被告人 荒岡勇 外三十四名
主文
被告人山田拳二を懲役三年に、
被告人峯喜平を懲役一年二月に、
被告人小西武一を懲役一年に、
被告人尾方猪一郎、同林淳一、同松本武則を各懲役八月に、
被告人高崎典蔵、同高山辰晴、同野口観蔵、同稗島広を各懲役六月に、
被告人荒岡勇、同池田昭二、同市川正一、同木葉晃行、同小山晃、同田羽田等、同津留崎政年、同都甲末人、同野田春次、同松本信俊、同宮本義広を各懲役四月に、
被告人竹元武夫、同岩崎三徳、同岩谷義基、同石塚吉男、同工藤光幸、同崎村敏男、同前川政雄、同宮ケ野慶介、同道岡茂、同山田春光を各懲役三月に、
被告人北岡儕、同古賀巌、同西川米生を各懲役二月に、
被告人角経弘を罰金一万円に
処する。
被告人山田拳二に対し、未決勾留日数中四十日を右刑に算入する。
被告人角経弘において右罰金を完納することができないときは金四百円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置する。
ただし、この裁判確定の日から被告人山田拳二に対しては四年間、被告人峯喜平、同小西武一に対しては各二年間、被告人尾方猪一郎、同林淳一、同松本武則、同高橋典蔵、同高山辰晴、同野口観蔵、同稗島広、同荒岡勇、同池田昭二、同市川正一、同木葉晃行、同小山晃、同田羽田等、同津留崎政年、同都甲末人、同野田春次、同松本信俊、同宮本義広、同竹元武夫、同岩崎三徳、同岩谷義基、同石塚吉男、同工藤光幸、同崎村敏男、同前川政雄、同宮ケ野慶介、同道岡茂、同山田春光、同北岡儕、同古賀巌、同西川米生、同角経弘に対しては各一年間右各刑の執行を猶予する。
押収してある手工用ナイフ(昭和三十六年押第二百七十九号の一)は、これを被告人山田拳二から没収する。
理由
(罪となるべき事実)
第一
一、三井鉱山株式会社(以下、会社という。)は、石炭の採掘および販売等を営む会社であり、九州に三池、田川、山野の各鉱業所および三池港務所を、北海道に砂川、芦別、美唄の各鉱業所を有し、右三池鉱業所は、三川、宮浦、四山の三鉱区に区分されている。三池鉱業所、三池港務所においては、昭和二十一年、その従業員をもつて三池炭鉱労働組合(以下、三鉱労組または組合という。)が結成され、同労組は、各鉱および港務所ごとに支部を設け、また、会社の他の鉱業所の鉱員で組織された各労働組合とともに三井鉱山労働組合連合会(以下、三鉱連という。)を構成し、日本炭鉱労働組合(以下、炭労という。)に加入していた。
二、(いわゆる八・一二事件)会社は、昭和三十四年一月十九日、経営不振を理由として、鉱員六千名の人員整理を含むいわゆる第一次企業再建案を三鉱連に提示し、労使交渉の結果、同年四月六日、人員整理については希望退職者を募ることに妥結したが、その応募者は、同年六月末までに約千三百名であつたため、会社は、さらに三鉱連に対し、金融機関から融資を得られないことを理由として、同年六月分より賃銀の分割払いをせざるをえない旨の申入をし、組合側からの一人当り二万二千円の夏季手当要求に対しては支払不能の回答をしたのみならず、第二次企業再建案提示の準備をすすめていた。会社の右のような出方に対し、三鉱労組は、炭労指令のもとに、同年八月十二日には各方一時間五十分の時限スト、およびいわゆる山元経営者に対する各支部ごとの大衆抗議闘争を、同月十三日には三池炭鉱主婦会による抗議デモを行なうことを決定し、一方、会社は、同月十一日、社長名をもつて山元経営者に対し、大衆行動による抗議を申し入れられた場合、大衆の前に出ることを禁止する旨を命じた。
1、(三川鉱事件)三川鉱副長宮地巌は、昭和三十四年八月十一日、三鉱労組三川支部長谷端一信に対し、前記のような社長命令のあつたことを伝えたが、同支部は、組合の前記方針のとおり大衆抗議行動を行なうこととし、同月十二日午後零時ごろから次次に昇抗してきた組合員は、各分会ごとに隊伍を組み、相次いで大牟田市西港町所在の三池鉱業所事務所鉱長室にはいり、その数は、二百名以上に達した。右組合員らは、同室の各自の机のいすに坐つていた同鉱副長宮地巌、同呉比長司、同古賀初喜、同百済武之および同宮崎昇に対し、口口に賃金分割払、夏季手当ゼロ回答の理由の説明を要求していたが、午後一時ごろ、組合員の中から「外へ引きずり出せ。」という発言が始まり、ついで「西山鉱では鉱長が外に出たそうだ。」との発言がなされるに及んで、「引つ張り出せ。」「外に出せ。」という声がさかんに起きるに至つた。
(一)被告人北岡儕、同西川米生、同峯喜平は、いずれも三川鉱鉱員で、同支部執行委員であり、鉱長室における右抗議行動に参加していたのであるが、前記組合員らの意図に同調し、犯意を通じ合つたうえ、副長らを外に出して組合員大衆とともに包囲監禁し、前記問題の説明を求めようと決意し、組合員数十名とともに、前記宮地、宮崎、古賀、呉比各副長の身体を引つ張つたり、押したりなどして、順次、鉱長室入口から約十六メートル離れた同事務所前広場中央ロータリー付近まで連れ出し、また、百済副長をいすもろともかかえ上げて前同所まで運び出し、同広場において、組合員約五百名とともに右副長五名を取り囲み、帰ろうとした呉比副長を押し返したりなどしたうえ、右副長らに対し、鉱長室におけると同様、賃銀および夏季手当についてしつように説明を求め、宮地副長らが「こういうところで、皆さんに直接お話しすることはできない。囲みを解かれたい。」旨要求したのにかかわらず、これを拒否し、百済副長に対しては同日午後二時ごろまで、古賀副長に対しては午後三時三十分ごろまで、宮地、呉比、宮崎各副長に対しては午後四時二十分ごろまで、それぞれ右人垣から外へ出ることを不可能ならしめ、また、午後二時ごろ百済副長が気分が悪くなり、鉱長室にもどつていつたん休息し、ついで同鉱業所構内の三池鉱業所病院三川診療所で日射病の治療を受けたうえ、鉱長室にもどつたが、その間、同副長を被告人峯、同西川らにおいて午後四時二十分ごろまで監視して、同副長の帰宅を不可能ならしめ、もつて、不法に人を監禁したものである。
(二)被告人野口観蔵は、三川鉱鉱員で、同支部万田竪坑分会長であり、同日午後三時十分ごろ、同分会員を引率して前記ロータリー付近に到着し、前記大衆抗議行動に参加したのであるが、午後四時十分ごろ、組合員約六十名と共謀のうえ、自らはその指揮をとり、同組合員らをして三列縦隊にスクラムを組ませ、笛を吹いて音頭をとりながらこれを誘導し、前記宮地、呉比、宮崎各副長を包囲し、「わつしよい、わつしよい」と掛け声をかけながら右副長らのまわりを駆け足でデモ行進をし、さらに「輪を縮めろ。」と指示して、円陣を縮めさせ、同組合員らをして右副長らの身体に衝突させたり、押しまくらせたりしたうえ、拳、肘などで突いたり、蹴つたりなどさせ、もつて、多衆の威力を示し、かつ数人共同して暴行をしたものである。
2、(港務所事件)三池港務所事務長中川磐夫および労務係長滝原瑞夫は、昭和三十四年八月十二日午前九時三十分ごろ、三鉱労組三池港務所支部長山下一二に対し、前記のような社長命令のあつたことを伝えたが、同支部は、組合の前記方針のとおり大衆抗議行動を行なう方針を変更せず、同日午後組合員を大牟田市新港町所在の同港務所本館玄関前広場に待機させることとし、同日午後一時五十分ごろから同支部幹部十二名が代表となり、同港務所本館二階応接室において、同所所長湯浅繁吉ほか三名の会社側代表と賃金分割払、夏季手当等の問題について団体交渉を始めたが、組合側は、湯浅所長に対し、組合員大衆の前に出て前記問題についての理由を説明するよう要求したが、同所長は、これを拒否し、交渉は、膠着状態に陥つた。一方、組合員は、支部の指令どおり同所玄関前広場に続続と集合していたが、会社側の態度に憤慨した組合員約三十名が前記応接室に乱入し、「所長を引つ張り出せ。」と言つて騒ぎ出すに至つた。被告人角経弘は、同所従業員で、同支部執行委員であり、組合側代表の一員として右交渉に参加していたのであるが、右組合員らの意図に同調し、これと犯意を通じ合つたうえ、同日午後三時三十分ごろ、湯浅所長の後方から同所長の坐つていたいすを揺り動かして同所長に対し玄関前に出ることを要求し、右いすを持ち上げかけ、右乱入した組合員片山市男ほか四、五名において、同所長をいすもろともかかえ上げ、同所玄関前広場まで運び出し、もつて、多衆の威力を示し、かつ数人共同して暴行をしたものである。
三、(いわゆる九・二六事件)被告人林淳一は、三川鉱鉱員で、三鉱労組三川支部二十四昇乙方分会副分会長であつたが、昭和三十四年一月二十一日に坑内で同鉱係員野口哲哉に対してぼんこしを振り上げたこと、同年八月会社の業務を阻害したことなどを理由として、同年九月十七日組合を通じて解雇の通告を受け、その後数回にわたり会社職制に対して抗議を行なつていたものであるところ、同年九月二十六日午後零時三十分ごろ、同分会員約五十名とともに昇坑し、大牟田市西港町所在の三川鉱着到場前広場において、同じく昇坑してきた前記野口を認めるや、右分会員らと共謀のうえ、同係員を包囲監禁して、解雇について抗議し、説明を求めようと考え、被告人林において同係員を呼びとめ、右分会員らがとつさに同係員を取り囲み、スクラムを組んで坐り込み、同係員が「後方に申し継ぎをせねばならないので、出してくれんの。」と要求したのに対し、分会員益田秋吉らにおいて、「出さんとは言わない。あんたは、ぼんこしの件について、そのときの状況を誰に報告したのか。」などと言つて、前記解雇理由の説明を求めたのに対し、同係員が社命によつて説明を禁ぜられている旨を釈明し、重ねて「出してくれ。」と言つて分会員らの肩を押し分けて出ようとしたところ、分会員らは、肩を寄せ合つてこれを阻止し、また、同係員の身を案じて同所付近に来ていた前記乙方の係長新開平弥に対し、被告人林において退去を要求したが、同係長がこれを拒絶し、分会員竹脇忠雄と口論となり、情勢が険悪になつたので、同係長が立ち去ろうとしたところ、被告人林は、前記分会員らと犯意を通じ合つたうえ、前同様の目的で同係長をも包囲監禁しようと考え、同日午後一時ごろ、同被告人は、分会員約十名とともに同係長の退路を塞ぎ、某分会員が同係長の腰あたりに抱きつくや、分会員らは、同係長を取り囲んだうえ、体を押しつけたり、足で蹴上げたり、拳で突いたりして押しもみ、野口係員のいる付近に押しやつて、さらに新開、野口両名を取り囲み、両名に対してこもごも解雇理由等の説明を要求し、新開係長が「頭が痛いので、出してくれ。」としきりに頼んだのにかかわらず、スクラムを固くしてその退去を許さず、同係長が疲労のため坐り込んだところ、分会員二名がその両腕をとらえて立ち上がらせ、前記説明をくり返し要求し、ついには、被告人林において笛を吹いて音頭をとり、分会員を指揮してデモを行ない、新開、野口の両名の身体を着到場の棚に押しつけたり、左右から押しもんだりし、よつて、両名をして同日午後二時二十分ごろに至るまで右人垣から外に出ることを不可能ならしめ、もつて、不法に人を監禁したものである。
四、(いわゆる三・二八事件)
1、会社は、前記のように、第一次企業再建案が組合側の容れるところとならなかつたので、さらに、金融機関からの長期借入停止、出炭量の減少等のため経営がますます不振に陥つたことを理由として、昭和三十四年八月二十八日、三鉱連に対し、鉱員四千五百八十名(うち三池鉱業所および三池港務所は二千二百十名)の人員整理を中心とする第二次企業再建案を提示し、組合側と団体交渉を重ねたが、同年十月七日交渉は、決裂するに至つたので、会社は、一方的に右再建案を実施することとし、同月十二日から希望退職者を募集することを決定した。これに対し、三鉱労組は、応募しないよう組合員に指示したので、二百五、六十名の応募者が出たにとどまつた。このような事態に苦慮した会社は、ふたたび三鉱連に対し、三池鉱業所については会社の方で指名して解雇したい旨を申し入れたところ、組合側に拒否されたので、同年十二月二日千四百数十名に対して退職勧告書を発送したが、右勧告に応じた者は、百五、六十名にすぎず、さらに、同月十日、千二百七十八名に対し、同月十五日を期限として解雇する旨の通告書を送付するに至り、これに応じて退職申出をした七十六名を除く千二百二名が前同日付でいわゆる指名解雇となつた。これより先、三鉱労組は、右第二次再建案に反対して、同年九月十六日二十四時間ストを、同月十七日以降毎週水曜、土曜の両日に一時間五十分の時限ストを、同年十月十三日以降毎週火曜、金曜の両日に二十四時間ストを実施していたが、右指名解雇の対象となつた者の中には、いわゆる職場活動家が多数含まれていたので、右指名解雇は組合の破壊を企図するものとして絶対反対の態度を固め、前記週二回の二十四時間ストを反覆しつつ、職場における日常闘争を強化することとした。会社は、右指名解雇に伴なう鉱員の配置転換のため、同年十二月十四日から組合と団体交渉を行なつたが、組合は、これを全面的に拒否したので、ついに会社は、昭和三十五年一月二十三日、三鉱労組に対し、同月二十五日から三池鉱業所のロツク・アウトを実施する旨の通告をし、組合も、これに対抗して、同日から無期限の全面ストライキに突入するに至つた。
2、このようにして、争議は、長期化するとともに、日日に激しくなつたが、三鉱労組の内部に組合の闘争方針に批判的な勢力が生まれるに至り、その数は、次第に増加し、同年三月十一日、右勢力に属する組合中央委員野方重義ほか六十八名から組合執行部に対し中央委員会の開催要求がなされ、同月十五日、大牟田市体育館において開かれた中央委員会において、批判勢力に属する委員から事態収拾策が提案され、激しい討議が行なわれたが、批判派の委員は、議事半ばにして全員退場し、ただちに批判勢力に賛成する組合員約三千名とともに大牟田市民会館に集合し、同所において三池炭鉱労働組合刷新同盟が結成された。同同盟は、さらに同月十七日同会館において総けつ起大会を開いたが、議事の途中で、右大会を新組合の結成大会に切り換え、ここに三池炭鉱新労働組合(以下、新労組という。)が結成された。新労組は、同月二十四、二十五の両日にわたり、会社と団体交渉をした結果、新労組はストライキを中止し、会社は新労組員に対するロツク・アウトを解くことに交渉が妥結し、同月二十八日の一番方から新労組員によつて生産が再開されることになつた。これを察知した三鉱労組は、新労組の就労は三川鉱正門または裏門から行なわれるものと予想し、同月二十七日の夜から、組合員らを大挙動員して、右二つの門を重点として、同鉱各門にピケラインを張つた。
3、新労組は、同月二十八日午前六時ごろ、大牟田市訪諏神社横の十三間道路に新労組員約千五百名を集合させ、これを三隊に分け、同日午前六時三十分ごろ、打ち上げ花火を合図に、第一隊は三川鉱正門の方向へ、第三隊は同鉱裏門の方向へ向かつて行動を起こし、同鉱週辺の各門に待機していた三鉱労組側のピケ隊をけん制し、その間に第二隊約五百名は、同市西港町所在の同鉱東仮訪門の前に到つた。右第二隊の先頭に立つた新労組青年行動隊約三十名は、同門前の三鉱労組ピケ隊に殴りかかり、数名の新労組員は、ピケ隊に目つぶしを投げ、一方、新労組員の就労を誘導、援護するため同門付近柵内に待機していた会社職員も、柵越しにぼた石、坑木等をピケ隊員に投げつけたりなどしたので、ピケ隊員もこれに応戦し、乱闘状態となり、三鉱労組側、新労組側奴方とも相当数の負傷者を出したが、その間新労組の前記第二隊は、仮設門南側の消防小屋付近の外柵をよじ登り、これを乗り越えて入構し、同構内の繰込場に集結した。
4、被告人古賀巌は、三川鉱鉱員で、三鉱労組員であり、昭和三十五年三月二十七日夜から三池鉱業所に隣接する港クラブ正門前のピケ隊員として、同所にいたものであるが、前記のような乱闘状態および新労組員の入構状況を間近に目撃して憤慨し、同月二十八日午前六時四十分ごろ、右クラブ正門前から前記仮設門付近の棚の前に到り、同所にいた三鉱労組員数名と共謀のうえ、同所付近の柵を乗り越えて入構しようとしていた新労組員渡辺久人に対し、所携の竹棒をもつて同人の左足、臀部等を数回殴打し、よつて、同人に対し右上腕、臀部、左大腿各挫傷を負わせたものである。
5、被告人石塚吉男は、炭労の組織対策部長で、同組合のオルグとして闘争中の三鉱労組に派遣されていたもの、被告人荒岡勇、同竹元武夫、同岩崎三徳、同岩谷義基、同池田昭二、同市川正一、同尾方猪一郎、同木葉晃行、同工藤光幸、同小西武一、同小山晃、同崎村敏男、同田羽田等、同高崎典蔵、同高山辰晴、同津留崎政年、同都甲末人、同野口観蔵、同野田春次、同稗島広、同松本信俊、同松本武則、同前川政雄、同宮本義広、同宮ケ野塞介、同道岡茂、同山田拳二、同山田春光は、前記被告人林淳一、同峯喜平と同じく三川鉱鉱員で、三鉱労組員であるが、前記のように、多数の新労組員が三鉱労組側の意表を衝いて東仮設門から入構したこと、その際、新労組員が三鉱労組ピケ隊に先制攻撃をかけたこと、および同ピケ隊員に相当数の負傷者を出したことなどに憤慨し、その憤まんを晴らす意図のもとに
(一)前記被告人三十一名は、新労組員の入構後である昭和三十五年三月二十八日午前六時五十分ごろ、会社が三鉱労組員に対し、前記のとおり、ロツク・アウトをして、同労組員らの立ち入りを禁止し、鉱長呉比長司が管理、支配していた大牟田市西港町所在三池鉱業所三川鉱構内に乱入し、さらに
(1)被告人尾方、同高山、同林、同稗島、同山田拳二は、三鉱労組員ら十数名と相前後して同構内の鉱長室に乱入し
(2)被告人荒岡、同竹元、同岩崎、同岩谷、同池田、同市川、同石塚、同木葉、同工藤、同小西、同小山、同崎村、同田羽田、同高崎、同津留崎、同都甲、同野口、同野田、同松本信俊、同松本武則、同前川、同峯、同宮本、同道岡、同山田春光は、三鉱労組員ら三、四十名と相前後して同構内の繰込場に乱入し、
もつて、故なく人の看守する建造物に侵入し
(二)被告人岩崎、同池田、同小西、同小山、同崎村、同野口、同松本信俊、同松本武則、同峯は、右繰込場に侵入するに際し、ほか二、三十名の三鉱労組員らと共同して、被告人小西、同崎村、同峯において各こん棒をもつて、被告人池田、同松本信俊、同松本武則において各金棒等をもつて、それぞれ右繰込場の窓のガラス戸を打ちこわし、被告人岩崎、同小山、同野口において右ガラス戸に投石し、その余の前記三鉱労組員らにおいて、こん棒等をもつて、あるいは投石し、よつて、会社所有の右ガラス戸約五十枚(ガラス合計三百余枚)を破壊し、もつて、数人共同して他人の所有物を損壊し
(三)被告人尾方、同高崎、同高山、同林、同稗島、同山田拳二は、前同日時ごろ、前記鉱長室において、ほか十数名の三鉱労組員らと共謀のうえ
(1)被告人高山、同山田拳二において、共同して、被告人高山がこん棒、同山田拳二が金棒をもつて、同鉱職員吉田敬、同宮地巌の各頭部等をそれぞれ数回にわたり殴打し、よつて、右吉田に対し治療約二箇月を要する頭頂部挫創、左第二中手骨骨折を、右宮地に対し治療約五日間を要する頭部挫創、背部、右側胸部、右腰部、右下腿挫傷を負わせ
(2)被告人高山において、前記三鉱労組員一、二名と共同してこん棒等をもつて、同鉱職員田中三作の頭部等をそれぞれ数回にわたり殴打し、よつて、同人に対し治療約三週間を要する頭、両肩、右肘、両膝挫傷兼左漿液性膝関節炎を負わせ
(3)被告人尾方、同林において、共同して、被告人尾方が金棒を、同林がスパナ様の器具をもつて、同鉱職員平尾守正の頭部等をそれぞれ数回にわたり殴打し、よつて、同人に対し治療約二週間を要する頭部挫創、顔面擦過傷、背部、右手背挫傷を負わせ
(4)被告人尾方において、金棒をもつて
ア、同鉱職員新開平弥、同山崎洋栄、同松永定一の各上腕部等をそれぞれ数回にわたり殴打し、よつて、右新開に対し治療約五日間を要する左三角筋部挫傷を、右山崎に対し治療約十日間を要する左上、前腕打撲擦過創、左足外踵部打撲を、右松永に対し治療約十日間を要する左上腕挫傷、腰部捻挫を負わせ
イ、前記三鉱労組員一、二名と共同して、右の者らにおいても金棒等をもつて、同鉱職員木村要、同原田茂の各頭部等をそれぞれ数回にわたり殴打し、よつて、右木村に対し治療約二週間を要する頭部、左肩、背部、右大腿挫傷を、右原田に対し安静治療約三週間を要する頭頂部挫創を負わせ
(5)被告人稗島において、こん棒をもつて
ア、同鉱職員呉比長司の右腕を数回にわたり殴打し、よつて、同人に対し治療約十日間を要する右前腕挫創を負わせ
イ、同鉱職員宮崎昇の右下腿および右腕を各一回殴打し、よつて、同人に対し治療約五日間を要する右下腿打撲擦過傷を負わせ
(四)被告人田羽田は、前同日時ごろ、同鉱構内係員詰所二階およびその階段下において、前記三鉱労組員一名位と共同して、同被告人において鉄棒をもつて、右労組員においてつるはしの穂先をもつて、同鉱職員上津原寔の背部等をそれぞれ数回にわたり殴打し、さらに、踏む、蹴る等の暴行を加え、よつて、同人に対し治療約二週間を要する背部、前腕挫傷を負わせ
(五)被告人荒岡、同竹元、同岩崎、同岩谷、同池田、同市川、同石塚、同尾方、同木葉、同工藤、同小西、同小山、同田羽田、同高崎、同高山、同津留崎、同都甲、同野口、同野田、同松本信俊、同松本武則、同前川、同峯、同宮本、同道岡、同山田春光は、前同日時ごろ、同構内繰込場において、ほか十数名の三鉱労組員らと共謀のうえ
(1)ア、被告人荒岡、同市川、同津留崎、同宮本は、共同して、各こん棒等をもつて、新労組員高尾行男の両腕等をそれぞれ数回にわたり殴打し、よつて、同人に対し治療約一箇月半を要する左尺骨末端骨折、右尺骨茎状突起骨折を負わせ
イ、被告人池田において、こん棒をもつて、新労組員牟田福一の右背部等を数回にわたり殴打し、よつて、同人に対し治療約五日間を要する右背部挫傷等を負わせ
ウ、被告人都甲において、こん棒をもつて新労組員奈良崎伝蔵を数回にわたり殴打し、よつて、同人に対し治療約四十日間を要する頭部、右鼠蹊部等挫傷を負わせ
エ、被告人尾方、同津留崎、同松本信俊は、共同して、被告人尾方、同津留崎において各こん棒をもつて、同松本信俊において手拳をもつて、新労組員釜賀弥彦の頭部、左腕等をそれぞれ数回にわたり殴打し、よつて、同人に対し治療約五日間を要する頭部、左前腕挫傷を負わせ
オ、被告人小山において、前記三鉱労組員一名位と共同して、同被告人が竹棒をもつて新労組員原豊の左肩甲部等を、ついで右三鉱労組員がつるはしの穂先をもつて同人の左眼部等をそれぞれ一回ないし数回にわたり殴打し、よつて、同人に対し治療約七十日間を要する左肩甲部挫傷、左眼眼球打撲症、上下眼瞼挫創、外傷性散瞳症を負わせ
カ、被告人高崎において、棒をもつて、新労組員松下一已の頭部を殴打し、よつて、同人に対し治療約五日間を要する頭部挫傷を負わせ
キ、被告人野口、同峯において、前記三鉱労組員と共同して、こん棒等をもつて、新労組員永江清司の頭部を数回にわたり殴打し、よつて、同人に対し治療約四十日間を要する頭部挫創を負わせ
ク、被告人松本武則、同峯において、共同して、被告人松本武則が金棒をもつて、同峯がこん棒をもつて、新労組員千原福次郎の頭部をそれぞれ数回にわたり殴打し、よつて、同人に対し治療約五日間を要する頭部挫傷を負わせ
ケ、被告人松本武則において、金棒をもつて
(ア)前記三鉱労組員一名位と共同して、右労組員においても金棒をもつて、新労組員瀬崎直生の頭部等をそれぞれ一回殴打し、よつて、同人に対し治療約十日間を要する後頭部等挫傷を負わせ
(イ)新労組員高田秀雄を一回殴打し、よつて、同人に対し治療約二十五日間を要する頭頂部挫創を負わせ、
(ウ)新労組員観音敏幸の後頭部を一回殴打し、よつて、同人に対し治療約七日間を要する後頭部挫創を負わせ、
(エ)新労組員田島国夫の頭部を一回殴打し、よつて、同人に対し治療約一週間を要する頭部挫創を負わせ、
(オ)新労組員松下重夫の左下腿部を数回にわたり殴打し、よつて、同人に対し治療約五日間を要する左下腿打撲擦過傷を負わせ
コ、被告人峯、同木葉において、共同して、各こん棒をもつて、新労組員甲斐久照の頭部等をそれぞれ数回にわたり殴打し、よつて、同人に対し治療約一箇月間を要する頭部打撲を負わせ
(2)ア、被告人岩崎において、多衆の威力を示し、こん棒をもつて、新労組員藪木森の左横腹を数回にわたり殴打し
イ、被告人木葉において、多衆の威力を示し、
(ア)こん棒をもつて、新労組員高津末広の後頭部を一回殴打し、
(イ)こん棒をもつて、新労組員連尾真三信の右肩を一回殴打し、
(ウ)長いすを新労組員豊永貞義および同山辺和人の各頭部に投げつけ、
ウ、被告人野田において、多衆の威力を示し、手拳をもつて、新労組員斉音熊の両頬を各一回殴打し、
エ、被告人松本武則において、多衆の威力を示し、金棒をもつて、新労組員加来武弘の頭部を一回殴打し、
オ、被告人峯において、多衆の威力を示し、こん棒をもつて
(ア)新労組員小野亨の左肩を数回にわたり殴打し、
(イ)新労組員西村竹男の背部等を数回にわたり殴打し、
(六)被告人宮ケ野は、同鉱繰込場付近において、金棒をもつて、新労組員薗田都築の左大腿部を数回にわたり殴打し、よつて、同人に対し治療約二週間を要する左大腿挫傷を負わせたものである。
第二被告人山田拳二は、
一、昭和三十六年三月ごろから売春婦の中村正子となじみとなり、同年九月十八日ごろ同女に結婚を申し込んだところ、同女が真意を秘してこれを承諾したので、同月二十四日に結婚のことについて相談するため同女と会う約束をし、同日午前十一時三十分ごろ福岡市千代町付近の公衆電話から同女の間借先である同市御笠町四十四番地木下富夫こと培白方に二度にわたり電話をかけたが、同女は最初の電話にちよつと出ただけで、あとは右李が同女に代つて応待し、同女はいないと言い張つたため口論となり、結局板付国道の鉄道踏切付近で右李と待ち合わせ、話をつけることとなつたが、同人が同女のいわゆるひもであり、話し合いの際同人とけんかになるかもしれないと考え、同市千代町付近の金物屋で手工用ナイフ一本(昭和三十六年押第二百七十九号の一)を買い求めて、同日正午ごろ前記踏切に赴いたところ、同踏切付近にはすでに右李と、その横に様子を案じてついて来た右李の実弟尹徳次が並んで立つており、約五メートル離れて右李および尹の知人山本勝治ほか二名が居るのを認め、いつそうただでは済まないだろうと考えながら、右李の背後に近付き、「待つているのはあなたですか。」と声をかけたところ、同人が向き直りざま「お前か。よしこい。」と言つたので、このうえは機先を制して攻撃を加えるほかないととつさに考え、同人が死亡するに至るかもしれないがと思いながらも、あえて、前記ナイフでまず同人の腹部を、ついで逃げかかつた同人の背後より背部を各一回突き刺したが、右尹、山本らにはばまれたため、右李に対し、安静加療約一箇月を要する左背部および腹部刺創ならびに左血胸の傷害を与えたのみで、殺害するに至らず、
二、前同日時場所において、被告人を止めようとした右山本勝治に対し、前記ナイフをもつて切りつけ、よつて、同人に対し安静加療三週間を要する左前腕刺創兼皮下血腫形成を伴なう前胸部刺創の傷害を与えたものである。
(証拠の標目)(略)
(確定裁判)
一、被告人高山辰晴は、昭和三十七年二月十二日、荒尾簡易裁判所において道路交通法違反の罪により罰金二千円に処せられ、右裁判は、同年三月十六日確定し、
二、被告人野口観蔵は、昭和三十五年七月三十一日、大牟田簡易裁判所において道路交通法取締法違反の罪によ
り罰金千円に処せられ、右裁判は、同年八月三十日確定し、
三、被告人松本武則は、昭和三十五年十二月八日、大牟田簡易裁判所において、道路交通取締法違反の罪により罰金千円に処せられ、右裁判は、同三十六年一月二十八日に確定したものである。
右の各事実は、いずれも検察官作成の右各被告人について前科照会および回答書によつてこれを認めることができる。
(法令の適用)
被告人北岡儕、同西川米生、同峯喜平の判示第一の二の1の(一)の各所為は、いずれも刑法第六十条、第二百二十条第一項に、被告人野口観蔵の判示第一の二の1の(二)の各所為は、いずれも同法第六十条、暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条第一項(刑法第二百八条第一項)、罰金等臨時措置法第三条第一項第二号に、被告人角経弘の判示第一の二の2の所為は、暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条第一項(刑法第二百八条第一項)、罰金等臨時措置法第三条第一項第二号に、被告人林淳一の判示第一の三の各所為は、いずれも刑法第六十条、第二百二十条第一項に、被告人古賀巖の判示第一の四の4の所為は、同法第六十条、第二百四条、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、被告人荒岡勇、同竹元武夫、同岩崎三徳、同岩谷義基、同池田昭二、同市川正一、同石塚吉男、同尾方猪一郎、同木葉晃行、同工藤光幸、同小西武一、同小山晃、同崎村敏男、同田羽田等、同高崎典蔵、同高山辰晴、同津留崎政年、同都甲末人、同野口観蔵、同野田春次、同林淳一、同稗島広、同松本信俊、同松本武則、同前川政雄、同峯喜平、同宮本義広、同宮ケ野慶介、同道岡茂、同山田拳二、同山田春光の判示第一の四の5の(一)の所為は、それぞれ刑法第百三十条前段、署金等臨時措置法第三条第一項第一号に、被告人岩崎三徳、同池田昭二、同小西武一、同小山晃、同崎村敏男、同野口観蔵、同松本信俊、同松本武則、同峯喜平の判示第一の四の5の(二)の所為は、刑法第六十条、暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条第一項(刑法第二百六十一条)、罰金等臨時措置法第三条第一項第二号に、被告人尾方猪一郎、同高崎典蔵、同高山辰晴、同林淳一、同稗島広、同山田拳二の判示第一の四の5の(三)の各所為は、いずれも刑法第六十条、第二百四条、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、被告人田羽田等の判示第一の四の5の(四)の所為は、前同一罰条に、被告人荒岡勇、同竹元武夫、同岩崎三徳、同岩谷義基、同池田昭二、同市川正一、同石塚吉男、同尾方猪一郎、同木葉晃行、同工藤光幸、同小西武一、同小山晃、同田羽田等、同高崎典蔵、同高山辰晴、同津留崎政年、同都甲末人、同野口観蔵、同野田春次、同松本信俊、同松本武則、同前川政雄、同峯喜平、同宮本義広、同道岡茂、同山田春光の判示第一の四の5の(五)の(1)の各所為は、いずれも前同一罰条に、同被告人らの同(2)の各所為は、いずれも刑法第六十条、暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条第一項(刑法第二百八条第一項)、罰金等臨時措置法第三条第一項第二号に、被告人宮ケ野慶介の判示第一の四の5の(六)の所為は、刑法第二百四条、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、被告人山田拳二の判示第二の一の所為は、刑法第二百三条、第百九十九条に、同二の所為は、同法第二百四条、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号にそれぞれ該当する。
被告人北岡儕、同西川米生、同峯喜平の判示第一の二の1の(一)の各監禁は、一個の行為にして四個の罪名に触れる場合であり、被告人野口観蔵の判示第一の二の1の(二)の各暴力行為は、一個の行為にして三個の罪名に触れる場合であり、被告人林淳一の判示第一の三の各監禁は、一個の行為にして二個の罪名に触れる場合であるから、それぞれ刑法第五十四条第一項前段、第十条により各一罪として、判示第一の二の1の(一)の各監禁については最も重い宮地巖に対する監禁罪の刑で、判示第一の二の1の(二)の各暴力行為については最も重い宮地巖に対する暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の罪の刑で、判示第一の三の各監禁については重い野口哲哉に対する監禁罪の刑で処断する。被告人荒岡勇、同竹元武夫、同岩崎三徳、同岩谷義基、同池田昭二、同市川正一、同石塚吉男、同尾方猪一郎、同木葉晃行、同工藤光幸、同小西武一、同小山晃、同田羽田等、同高崎典蔵、同高山辰晴、同津留政年、同都甲末人、同野口観蔵、同野田春次、同林淳一、同稗島広、同松本信俊、同松本武則、同前川政雄、同峯喜平、同宮本義広、同宮ケ野慶介、同道岡茂、同山田拳二、同山田春光について、判示第一の四の5の(一)の建造物侵入と同(三)の各傷害(被告人尾方、同高崎、同高山、同林、同稗島、同山田拳二関係)、同四の傷害(被告人田羽田関係)、同(五)の(1)の各傷害および同(2)の各暴力行為(被告人荒岡、同竹元、同岩崎、同岩谷、同池田、同市川、同石塚、同尾方、同木葉、同工藤、同小西、同小山、同田羽田、同高崎、同高山、同津留崎、同都甲、同野口、同野田、同松本信俊、同松本武則、同前川、同峯、同宮本、同道岡、同山田春光関係)ならびに同(六)の傷害(被告人宮ケ野関係)との間にはそれぞれ手段結果の関係があるので、刑法五十四条第一項後段、第十条により一罪として、被告人林、同稗島、同山田拳二については最も重い判示第一の四の5の(三)の(1)の傷害罪の刑で、被告人宮ケ野についてい重い判示第一の四の5の(六)の傷害罪の刑で、右被告人らを除くその余の被告人については最も重い判示第一の四の5の(五)の(1)のオの傷害罪の刑でそれぞれ処断する。
被告人角の判示第一の二の2の罪について所定刑中罰金刑を、被告人野口の判示第一の二の1の(二)の罪、被告人古賀の判示第一の四の4の罪、被告人崎村の判示第一の四の5の(一)の罪、被告人岩崎、同池田、同小西、同小山、同崎村、同野口、同松本信俊、同松本武則、同峯の判示第一の四の5の(二)の罪、被告人林、同稗島、同山田拳二の判示第一の四の5の(三)の(1)の一罪、被告人荒岡、同竹元、同岩崎、同岩谷、同池田、同市川、同石塚、同尾方、同木葉、同工藤、同小西、同小山、同田羽田、同高崎、同高山、同津留崎、同都甲、同野口、同野田、同松本信俊、同松本武則、同前川、同峯、同宮本、同道岡、同山田春光の判示第一の四の5の(五)の(1)のオの一罪および被告人宮ケ野の判示第一の四の5の(六)の一罪について、それぞれ所定刑中懲役刑を、被告人山田拳二の判示第二の一の罪について所定刑中有期懲役刑を、同二の罪について所定刑中懲役刑を選択する。
刑法第四十五条前段によれば、被告人岩崎、同池田、同小西、同小山、同松本信俊の判示第一の四の5の(二)の罪と同(五)の(1)のオの一罪とは併合罪であり、被告人崎村の判示第一の四の(5)の(一)の罪と同(二)の罪とは併合罪であり、被告人林の判示第一の三の罪と同四の5の(三)の(1)の一罪とは併合罪であり、被告人峯の判示第一の二の(一)の罪、同四の5の(二)の罪および同(五)の(1)のオの一罪とは併合罪であり、被告人山田拳二の判示第一の四の5の(三)の(1)の一罪と同第二の各罪とは併合罪であるから、それぞれ同法第四十七条本文、第十条により、被告人岩崎、同池田、同小西、同小山、同松本信俊についていずれも重い判示第一の四の(5)の(1)のオの一罪の刑に同法第四十七条但書の制限内で併合罪の加重をした刑期の範囲内で、被告人崎村について重い判示第一の四の5の(二)の罪の刑に併合罪の加重をした刑期の範囲内で、被告人林について重い判示第一の四の(5)の(三)の(1)の一罪の刑に、被告人峯について最も重い判示第一の四の5の(五)の(1)のオの一罪の刑にそれぞれ併合罪の加重をした刑期の範囲内(ただし、短期は、被告人林について判示第一の三の罪、被告人峯について判示第一の二の1の(一)の罪の刑のそれによる。)で、被告人山田拳二について最も重い判示第二の一の罪の刑に同法第十四条の制限内で併合罪の加重をした刑期の範囲内で処断する。また、同法第四十五条後段によれば、被告人高山の判示第一の四の5の(五)の(1)のオの一罪と前示確定裁判のあつた罪とは併合罪であり、同法第四十五条前段および後段によれば、被告人松本武則の判示第一の四の5の(二)の罪および同(五)の(1)のオの一罪と前示確定裁判のあつた罪とは併合罪であり、被告人野口の判示第一の二の1の(二)の罪、同四の5の(二)の罪および同四の5の(五)の(1)のオの一罪と前示確定裁判のあつた罪とは併合罪であるから、いずれも同法第五十条によりまだ裁判を経ない判示各罪につきさらに処断し、被告人高山についてその所定刑期の範囲内で、被告人松本武則については同法第四十七条本文、第十条により重い判示第一の四の5の(五)の(1)のオの一罪の刑に同法第四十七条但書の制限内で併合罪の加重をした刑期の範囲内で、被告人野口については同法第四十七条本文、第十条により最も重い判示第一の四の5の(五)の(1)のオの一罪の刑に併合罪の加重をした刑期の範囲内で処断する。
被告人北岡儕、同西川米生について犯情を考慮し、判示第一の二の1の(一)の罪の刑に刑法第六十六条、第七十一条、第六十八条第三号により酌量減軽をした刑期の範囲内で処断する。
以上の各刑期の範囲内において、被告人山田拳二を懲役三年に、被告人峯喜平を懲役一年二月に、被告人小西武一を懲役一年に、被告人尾方猪一郎、同林淳一、同松本武則を各懲役八月に、被告人高崎典蔵、同高山辰晴、同野口観蔵、同稗島広を各懲役六月に、被告人荒岡勇、同池田昭二、同市川正一、同木葉晃行、同小山晃、同田羽田等、同津留崎政年、同都甲末人、同野田春次、同松本信俊、同宮本義広を各懲役四月に、被告人武元武夫、同岩崎三徳、同岩谷義基、同石塚吉男、同工藤光幸、同崎村敏男、前川政雄、同宮ケ野慶介、同道岡茂、同山田春光を各懲役三月に、被告人北岡儕、同古賀巖、同西川米生を各懲役二月に、被告人角経弘を罰金一万円に処し、被告人山田拳二について、刑法第二十一条を適用して未決勾留日数中四十日を右刑に算入し、被告人角経弘について、右の罰金を完納することができないときは、同法第十八条により金四百円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置し、情状により同法第二十五条第一項を適用して、被告人山田拳二に対しては四年間、被告人峯喜平、同小西武一に対しては各二年間、右被告人らを除くその余の被告人については各一年間、いずれも右刑の執行を猶予し、押収してある手工用ナイフ(昭和三十六年押第二百七十九号の一)は、被告人山田拳二が判示第二の各犯罪行為に供した物で、犯人以外の者に属しないから、同法第十九条第一項第二号前段、第二項を適用してこれを同被告人から没収し、訴訟費用は、刑事訴訟法第百八十一条第一項但書により被告人らに負担させないこととする。
(弁護人および被告人の主張に対する判断)
第一、被告人西川米生、同峯喜平、同北岡儕に対する昭和三十四年十月八日付、被告人野口観蔵に対する同年十二月三日付各起訴状記載の公訴事実(いわゆる八・一二、三川鉱事件)について。弁護人らは、本件抗議行動は労使間の慣行に基ずくものであつて、正当な団体行動の範囲を逸脱していない、と主張する。しかしながら、本件のような会社側に対する大衆による抗議行動が従来行なわれてきたとしても、本件抗議行動が前認定のような日時、場所、手段、態様でなされたものである以上、とうてい正当な団体行動の範囲内にあるということはできない。
第二、被告人林淳一に対する昭和三十五年一月十八日付起訴状記載の公訴事実(いわゆる九・二六事件)について。
一、弁護人らは、本件抗議行動は被告人林に対する解雇理由の不公正な取扱をめぐつて生起した事件であり、同被告人に対する解雇の申入は会社側のでつち上げた理由に基ずくものであつて、このように会社側に責任非難の可能性があるときは、本件抗議行動の違法性を阻却する、と主張する。しかしながら、証人野口哲哉(第百三十三回)、同野見山稔(第百三十四回)の各証言調書によれば、被告人林が昭和三十四年一月二十一日坑内において作業上のことで係員野口哲哉と口論となり、同人に対してほんこしを振り上げた事実が認められるから、右事実が他の理由と相まつて同被告人に対する適法な解雇理由となるかどうかはしばらく措くとしても、会社の同被告人に対する解雇の申入が本件の違法性を阻却するほど、会社側が責任非難の可能性ある行動をとつたということはできない。
二、弁護人らは、本件において暴力行為として起訴された行為は、新開、野口両名を現場にひきとどめておくためになされたものであり、また、団結の示威による結果であつて、労働法の規範的秩序から実質的違法性を欠き、可罰的違法性を有しない、と主張する。しかしながら、同被告人らの行為が前認定のようなものである以上、とうてい違法性を欠くということはできない。
三、弁護人らは、新開、野口両名には被告人林ら組合員の大衆交渉に応ずべき法律上の義務があるのであるから、本件大衆交渉は、憲法第二十八条で保障された団体行動権の一態様であり、同被告人は労働組合法第一条第二項によつて刑事免責を有する、と主張する。労働者の多数が労働組合の統制外において使用者のいわゆる職制と交渉することは、団体交渉とはいえないが、団体行動として保護されることもありうると解すべきであるが、その際交渉の人数、場所等について制約のあること、また、交渉の過程において暴力的行為がなされてならないことは、当然である。本件についてみると、前認定のとおりの情況のもとにおける同被告人らの行為は、諸般の事情を考慮しても、団体行動の正当な範囲を逸脱するものであつて、労働組合法第一条第二項にいう正当な行為ということはできない。
第三、被告人北岡儕、同角経弘、同西川米生を除くその余の被告人らに対する各公訴事実(いわゆる三・二八事件)について。
一、弁護人らは、右事件は会社、新労組および国家権力が共謀して仕組んだものであるが、検察官はこれに対して正当な評価をくだすことなくして、本件公訴に及んだものであつて、公訴権の濫用である、と主張する。しかしながら、当裁判所において取り調べた証拠によれば、右主張のような事実があつたものとは認められないから、本件起訴が公訴権の濫用に当るものとはとうていいうことができない。
二、弁護人らは、被告人らの三川鉱構内への立入は、就労のため入構した新労組員に対する抗議および柵外への退去要求のためのいわば移動ピケであつて、三鉱労組の団結権および争議権に対する侵害を現状に回復するための団体行動であるから、労働組合法第一条第二項にいう正当な組合活動として違法性を阻却される行為であると主張する。前認定のような事態の推移のもとにおいて、被告人らの行為が右主張のような行為にとどまるかぎりにおいては、あるいは正当な行為となしうるかもしれない。しかしながら、前認定のとおり、被告人らは正当な理由がなく構内に立ち入つたものであることは、これに続く被告人らの判示所為からも十分推認しうるところであつて、とうてい正当な組合活動ということはできない。
三、弁護人らは、被告人らの三川鉱構内への立入は、目的において正当であり、法益の権衡を得ており、また、手段において相当、緊急かつ補充的であるから、超法規的に違法性を阻却される行為である、と主張する。しかしながら、被告人らの右立入がその目的において正当でないことは、すでに二に結論したとおりであるから、爾余の点について判断するまでもなく、右主張は失当である。
四、弁護人らは、三鉱労組ピケ隊は会社および新労組によつて急迫かつ不正に団結権および争議権を侵害されたのであるから、被告人らの三川鉱構内への立入は、少くとも正当防衛であり、また、被告人らの鉱長室および繰込場への立入、器物毀棄ならびに暴行、傷害は、正当防衛または過剰防衛行為である、と主張する。会社および新労組の本件就労行動が、右主張のように、三鉱労組の団結権および争議権を侵害したものであり、その侵害の結果が現在に継続していたとしても、侵害行為がすでに終了していたのであるから、被告人らの右各行為が、右侵害行為の直後に行なわれたものであつても、急迫な侵害に対してなされたものということはできない。なお、弁護人らは、被告人らの暴行、傷害、器物毀棄は、新労組員らの再反撃行為を制圧するために出た行為であると主張するが、当裁判所において取り調べた証拠によれば、新労組員が右のような行為に出ようとしていたものと認めることはできない。したがつて、被告人らの前記各行為は、いずれも正当防衛に当らない。また、右のように急迫な侵害に対してなされた防衛行為でない以上、過剰防衛ということはありえない。
五、弁護人は、本件のような事情においては、被告人らに対し他に適法な行為に出ることを期待することは不可能であつた、と主張するが、本件争議の経過等一切の事情を考慮にいれても、被告人らに他の適法行為に出ることを期待することが不可能であつたと解することはできない。
よつて、弁護人らの主張は、いずれも採用しない。
(一部無罪の理由)
第一、検察官は、被告人西川米生、同峯喜平、同北岡儕に対する昭和三十四年十月三日付起訴状記載の公訴事実(いわゆる八・一二、三川鉱事件)および被告人林淳一に対する昭和三十五年一月十八日付起訴状記載の公訴事実(いわゆる九・二六事件)について、いずれも、多衆の威力を示し、かつ数人共同して暴行したもので、暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条第一項にも該当すると主張する。しかしながら、逮捕または監禁するための手段としてなされた暴行、ないし逮捕または監禁中にその状態を維持存続させるための手段としてなされた暴行で、それがまつたく別個の動機、目的からなされたものでないときは、右暴行は、逮捕または監禁の罪に吸収されるものと解すべきであり、右暴行が暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条第一項違反をもつて評価すべき場合においても、その結論を異にするものではない。ところで、本件についてみると、前認定のとおり、被告人西川、同峯、同北岡らの副長五名に対する暴行は、右副長らを逮捕し監禁するための手段としてなされたものであり(判示第一の二の1の(一))、被告人林らの暴行は、新開係長を逮捕し監禁するための手段であり、また、野口係員、新開係長両名に対する監禁を維持存続するための手段としてなされたものである(判示第一の三)から、前示のとおり右被告人らの判示各所為について監禁罪の成立を認めた以上、右各暴行は、監禁の罪に吸収され、別罪として暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条第一項違反の罪を構成しないものといわなければならない。しかしながら、本件各起訴は、いずれも監禁と観念的競合の関係にあるものとしてなされたものであるから、暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条第一項違反の各訴因については、とくに主文において無罪の言渡をしない。
第二、本件公訴事実中、被告人松本武則に対する昭和三十五年六月九日付起訴状第四記載の事実の要旨は、「被告人松本武則は、昭和三十五年三月二十八日午前六時五十分ごろ、前記三川鉱構内の係員詰所二階およびその階段下において、田羽田等と共同して、被告人においてつるはしの穂先をもつて、右田羽田において鉄棒をもつて、同鉱鉱員上津原寔の背部等をそれぞれ数回にわたり殴打し、さらに踏む、蹴る等の暴行を加え、よつて、同人に対し治療約二週間を要する背部、前腕挫傷等を負わせた。」というのである。右訴因についての証人上津原寔の証言調書(第百十回)によれば、同証人は、主尋問の際、右公訴事実にそう供述をしたが、反対尋問によつてその信憑力が著しく減殺されたものといわざるをえず、第百八十三回公判調書中同被告人の供述記載と合わせ検討してみると、前記証言調書は、右訴因を認定するに足りず、他に右訴因を認めるに足りる証拠がない。したがつて、右訴因については犯罪の証明がなかつたことに帰するのであるが、同被告人の判示第一の四の5の(一)の建造物侵入と右傷害の間には手段結果の関係があるものとして起訴されたものと認められるので、とくに主文において無罪の言渡をしない。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 後藤師郎 勝見嘉美 土川孝二)